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愛読本に象徴、黒川(山村隆太)の息苦しい過去と事件の関連

2025.05.30

愛読本に象徴、黒川(山村隆太)の息苦しい過去と事件の関連

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』8話レビュー

エンディングが近づいてきたドラマ『MADDER(マダー)その事件、ワタシが犯人です』。その第8話が29日深夜に放送されました。
第7話では、天才高校生・仲野茜(五百城茉央)が、同級生で財閥の娘・篠崎麻友(吉名莉瑠)らを殺したとして警察に自首した猟奇殺人犯と思しき青年・黒川悠(山村隆太)のルーツである、栃木県日鞠町の古い喫茶店「りんどん」を訪問。そこで、かつて黒川が「りんどん」の常連だったこと、さらにマスターの姪(めい)と交際していたことが分かります。マスターはそれ以上、黒川について話すことを拒否。しかし茜は、黒川がマスターの姪に当てた手紙を見つけてこっそり持ち帰っていました。

そして第8話では、その手紙の内容から、黒川が歩んできた過去が判明します。黒川の父親は有力な政治家で、自身は周囲から政界入りを期待されていました。一方、父親は冷徹な考え方の持ち主で、黒川に対し「死んだやつこそ生きてる者たちのために利用されるべきだ。あらゆるものを有意義に使え」などと教えます。そんな黒川にとって唯一、安らげる場所だったのが「りんどん」。そこで働いているマスターの姪・遼子(佐藤みゆき)は、明るく、遠慮がない性格。黒川はそんな遼子にひかれ、いつしか「りんどん」を手伝いながら交際するように。ところが父親は、遼子が短大卒であること、父親が借金で行方不明になっていることを調べ上げて、学歴と家柄を理由に、交際を猛反対します。

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』
仲野茜(五百城茉央)

黒川が読んでいたカフカの小説『変身』

第8話では、若かりし日の黒川がどれだけ家柄のプレッシャーを感じながら生きてきたのかが分かります。だからこそ、そういうものから少しだけでも解放される「りんどん」は貴重な居場所であり、なにより遼子と過ごす時間に心が救われるのです。

そんな黒川は、一冊の本を読みながらコーヒーを飲むのが「りんどん」でのお決まりのよう。その一冊というのが、フランツ・カフカの小説『変身』です。きっと読んだことがある方も多いのではないでしょうか。筆者も学生時代に『変身』を読み、大きな影響を受けた一人です。

『変身』は1915年に出版された作品。主人公のグレゴール・ザムザは朝、目を覚ますと自分の姿が巨大な虫に変わっていることに気づきます。なぜ虫になってしまったのか、グレゴールがどれだけ考えても分かりません。もちろん仕事には行けず、家族との関係性にも溝が生まれていきます。

出版から100年以上が経っていますが、『変身』は今もなお傑作として読み継がれています。普及の名作となり得た理由の一つは、読み手の解釈に委ねる部分がたくさんあるところ。中でも「なぜグレゴールが虫になったのか」という話の起点は、読者のイマジネーションを大いに刺激しました。

グレゴールが虫に変身してしまった理由として考えられるのは、「役割・義務」からの解放です。彼はそれまで、いくつかの「役割・義務」を抱えていました。毎日早起きをして働かなければならないこと、両親が多額の借金を抱えていて自分が返済しなければならないこと、妹を音楽学校へ行かせるための費用を工面しなければいけないこと。そういった日々の生活に大変さを覚えていました。しかし、虫になってからはそういった「役割・義務」は果たせなくなります。さらに虫になった彼の言葉は、家族には通じなくなります。

そのようにグレゴールの身に起きた劇的な変化を、「解放」と捉える読者はたくさんいるのです。

父親との確執で黒川の心は「孤独死」を遂げていた

黒川が『変身』を読んでいる意味もやはり、「役割・義務」や、立場から解放されたいという願望のあらわれではないかと考えられます。実際に黒川は遼子を前にし、父親と過ごす時間について「一緒にいるだけで、息が詰まりそうで」と胸中を吐露します。その言葉からも、「役割・義務」に苦しさを抱いていることが分かります。

しかし黒川は、その「役割・義務」から逃れることがかないません。父親は、遼子の身辺を調査した上で二人の仲を引き裂きます。遼子も「一緒にいたら迷惑かかっちゃうし」「私もあの家(黒川家)の人たちとは付き合っていけない」と身を引きます。さらに遼子は「恵まれた環境を捨ててほしくない」と言います。このやりとりが非常に痛切で、黒川が「あんな家のどこが恵まれてるんだよ」と否定すると、遼子は「それに気づいてないのが、恵まれてるってことだよ」とはっきり言うのです。

『変身』のグレゴールは、虫になってから一時的に解放感を得ますが、家族らとの関係が断たれた状況に陥っていき、最終的に孤独な死を迎えます。しかもその死の原因となるのが、父親から受けた攻撃の傷なのです。しかも皮肉なことに、残された家族は虫になったグレゴールが死んだことで“重荷”から解放され、家族として再出発を切ることができます。

黒川が抱いていた孤独、そして凶行に走らせたことなどの根本にもやはり父親(家族)の存在があると考えられます。さらに遼子の存在も。第8話までに描かれた2件の猟奇殺人の真相はまだ明かされていませんが、父親との確執と遼子との別れによって、黒川の心が「孤独死」を遂げていたことに違いはないでしょう。そういう意味で、グレゴールと黒川が重なって見えてなりません。

とても悲しい第8話でしたが、最後に急展開の気配が。それは茜が「私がいかにして、連続殺人鬼にとなったか」と独白するところ。黒川の過去を経て、第9話、第10話でいったい何が起きるのか。気になって仕方がありません。
文:田辺ユウキ
芸能ライター。大阪を拠点に全国のメディアへ寄稿。お笑い、音楽、映画、舞台など芸能全般の取材や分析の記事を執筆している。
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