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人の心にある叫び、MADDERというタイトルの意味とは?

2025.06.06

人の心にある叫び、MADDERというタイトルの意味とは?

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』9話レビュー

次週で最終話を迎えるドラマ『MADDER(マダー)その事件、ワタシが犯人です』。その第9話が5日深夜に放送されました。第8話では、黒川悠(山村隆太)の過去が判明。彼の父親は政治家で、自身も将来の政界入りが有力視されていたこと。しかしそんな家柄の影響や父親の反対で、付き合っていた浦田遼子(佐藤みゆき)と別れを余儀なくされたこと。そういた出来事が黒川の人間性を変えてしまったとされました。

ただ第9話は、高校1年生だった茜たちの6年後に物語の舞台が移されます。まず一人の女性が、警察に足を運びます。その理由は、自分が犯人であることを伝えるため。刑事の梶谷美和(武田梨奈)、森野真治(濱正悟)は「全国無差別連続殺人事件」を捜査していることから、彼女はその全てが茜のノートに書かれていると話します。犯人と刑事しか知り得ない情報が、茜のノートに記されていたことから、事件は真相解明に向けて急展開を見せていきます。

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』
左:梶谷美和(武田梨奈)
右:森野真治(濱正悟)

第9話のラストを見終えて…「何がどうなっているの!?」

まず、第9話を見終わった多くの視聴者の心の声をここに代弁したいと思います。

「誰が誰で、何がどうなっているの!?」。

第9話のラストを見てすべてが一発で分かった人は、今すぐに清爛学園への受験をおすすめします。

筆者はFODで同回の終盤を、何度も、何度も繰り返し再生しました。それでも何がどういうことなのか、分かりませんでした(苦笑)。ただ、その謎は最終回ですべてが明かされるはず。どのように語られるのか、楽しみを次週に持ち越す気持ちでFODの画面を閉じました。ちなみにここでパッと頭に浮かんだ言葉が、大林宣彦監督の映画『転校生』(1982年)における「俺があいつで、あいつが俺で」や、新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』(2016年)の「私、夢の中であの男の子と/俺は夢の中であの女と」「入れ替わっとる!?/入れ替わってる!?」でした。ご覧になった方はこの台詞が頭に浮かんだ理由が分かりますよね。

ただし、不可解なラストに至るまで、過去の放送回や今回の第9話にいくつかの伏線がありました。たとえば第9話序盤で、高校卒業後に行われた同窓会の場面があります。そこでは、引っ込み思案だった学級委員の北條凛(つぐみ)が垢抜けた雰囲気で登場。どうやら茜はピンときていなかった様子で、北條は「私が変わりすぎちゃったのかー!」と大はしゃぎ。見た目も、テンションも、話し方もすべてがガラッと変わっていたのです。

さらに北條は高校時代、SNSの裏アカウントを作って学校の悪口などを書き込んでいたとカミングアウト。「あんな天才ばっかにもみくちゃにされて、精神保つにはこれくらいさせろって感じじゃない?」と話す北條に、まわりの元同級生も「ヤバ!」と大笑い。

この場面では、人はガラッと変わること、そして人は誰しも知られざる思いを抱えていることが語られています。こういった何気ない場面もまた、「誰が誰で、何がどうなっているの!?」という第9話ラストで覚えた困惑に繋がるような気がしました。

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』
五百城茉央

仲野茜も、黒川悠も、誰もがメッセージを発している

それらを踏まえた上で第9話では、人には「心の中の叫びがある」ということに気付かされます。

学校、職場、友人関係、恋人関係など、どんなシチュエーションであっても人は多かれ少なかれ不満を抱えているもの。集団や組織に属していれば、それは当たり前のことだと思います。不満などを面と向かって相手に伝えて解決できるなら良いのですが、現実はなかなかそのようにいきません。

自分の苦しみを誰かに知ってもらいたい、気付いてもらいたい。そういう思いから、北條のようにSNSの裏アカウントを作ってそこにすべてをぶちまけるのです。北條のカミングアウトに対して、元同級生たちは「ヤバ!」と言っていましたが、果たして心の底からヤバイと感じていたのでしょうか? 元同級生たちも実は、同じようなことをしていた気がしてならないのです。「ヤバ!」と言って大笑いしていたのは、自分にも思い当たることがあっての笑いだったり、北條への共感の笑いだったりしたのではないでしょうか。

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』
左:五百城茉央
右:樋口幸平

ちなみに同考察記事をドラマ制作側に事前確認してもらったところ、興味深い指摘があったので、許可をいただいた上でそのまま掲載します。作り手だからこその意見で「なるほど」となります。

「北條やSNSでは、日常の不満を理由に、全く無関係な容疑者・黒川に向かって攻撃します(犯罪者はフリー素材と同じだと)。ネットミーム化して、またSNSの住民が黒川に更なる攻撃を行います。茜にはそれが許せなかった。北條が茜の怒り=MADの引き金を引いてしまったのです。茜は黒川を誹謗中傷した人間を無差別に殺していきました。茜の怒りは殺しても殺しても留まらない、MADがMADDERに変化しました。」

猟奇殺人を犯した黒川もそうです。犯罪は絶対に許されることではありません。ただ黒川にも、第8話で描かれていたように過去の苦しみがありました。そして深い恨みや後悔がありました。彼もまた、自分が抱えているつらさを誰かに気づいて欲しいと思っていたのではないか――。そんなSOSの発信が、凶行という最悪な形に変貌してしまったように感じます。

ポジティブに見える人だって、パワフルに行動する人だって、どんな人でもきっと何か葛藤を持っている。そういうことに対し、私たちは無自覚であってはいけません。いろんな人のメッセージを敏感に察していける人間でありたいと、筆者自身はここまでの『MADDER』を鑑賞して強く感じました。
文:田辺ユウキ
芸能ライター。大阪を拠点に全国のメディアへ寄稿。お笑い、音楽、映画、舞台など芸能全般の取材や分析の記事を執筆している。
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