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表の緋山(藤原丈一郎)と裏の天海(大谷亮平)、「勝ち組・負け組」の価値観 ドラマ・『ロンダリング』

2025.08.08

表の緋山(藤原丈一郎)と裏の天海(大谷亮平)、「勝ち組・負け組」の価値観 ドラマ・『ロンダリング』

藤原丈一郎(なにわ男子)主演『ロンダリング』6話レビュー

いよいよ中盤戦に突入したドラマ『ロンダリング』の第6話が7日深夜、放送されました。

第5話では、解体業者が現場で次々と体調不良に見舞われる老朽化した共同住宅をロンダリングするため、死者の声を聞くことができる能力を持つ緋山鋭介(藤原丈一郎)が物件に足を踏み入れました。緋山がそこで聞いたのは、「ここにいたい」「ここは俺たちの居場所だ」という霊たちの声。念のこもったその声に緋山もまた苦しみ、倒れ込んでしまいました。

そして第6話では、その共同住宅がどういう物件だったかが判明。そこは貧困ビジネス(弱者ビジネス)が行われていた現場で、一つの部屋に、身寄りがなくてその日暮らしの高齢者らが押し込まれていたのです。つまり、路上生活者らを暴力団などが囲い込み、生活保護の給付金を搾取したり、医療費免除を悪用して薬の不正入手・転売に利用したりしていたのです。ただ緋山の雇い主であるアマミ不動産の天海吾郎社長(大谷亮平)は、そういった事情には首を突っ込まず、金と人を注ぎ込んで解体作業を進めようとします。

『ロンダリング』3話 アマミ不動産の天海吾郎社長(大谷亮平)

自分は果たして誰かに必要とされているのか

回を重ねるごとに現代の社会問題に鋭く切り込んだ題材を物語の中に取り込み、見応えが増している『ロンダリング』。

「物件」という大枠の中に、貧困ビジネス、ホストクラブでの売掛問題とメンズエステへの斡旋(あっせん)などを組み込んでいくところは、映画などで流行している“事故物件モノ”とは明らかに異なる語り口。たしかに映画であればホラー要素などのフィクション性を強めて娯楽的に見せていくのが正解でしょうし、逆に長期にわたって放送される連続ドラマで表現するのであれば、現実とリンクさせて視聴者を引き付けていくのが良いのでしょう。似たような題材でも、映画とドラマでは見せ方に違いがあることは非常に興味深い点です。

そんな『ロンダリング』の第6話で印象的だったのが、「自分は果たして誰かに必要とされているのか」ということ。読者のみなさんもきっと、仕事、対人関係などにおいて一度はそういう悩みに直面したことがあるのではないでしょうか。

緋山は、天海社長に、その特殊能力を良いように使われている節があります。アマミ不動産の蒼沢夏凜(菅井友香)からも「社長に思い入れとかないよ、多分。ダメ元でロンダリングに使えそうだから(緋山を)雇ってみた。使えなかったらクビでいいって人だから、アレは」と指摘されます。

『ロンダリング』6話 蒼沢夏凜(菅井友香)

それでも緋山は、天海社長から仕事を振られることにやりがいを感じているようなのです。というのも彼は、親兄弟がエリートの一家で育ちながら、自分だけが落ちこぼれという背景を持っているから。役者を目指している理由は、誰からも期待されていない状況を見返すため。そして「俺のことを家族に……みんなに見てほしい」と願っているのです。

それでも、役者としてもまったく売れない日々。だからこそ、ビジネスとして利用されているとしても、誰かに求められていることに対して一つの喜びを感じているのです。仕事やプライベートがうまくいっている人からすれば「もうちょっと自分のことを大事にした方がいい」と思うでしょう。でも追い詰められていたり、心が満たされていなかったりしている人にとっては、「それでも、うれしい」となるのではないでしょうか。緋山にとって人生とは誰かとの勝ち負けではなく、自分が求められることの喜びが得られるかどうかなのです。

緋山はそのように考えていますが、ただ、天海社長はもっとシビアでした。

緋山鋭介と天海吾郎社長は表と裏

2000年代に入って、経済性や地位の優劣と格差をあらわす「勝ち組・負け組」という言葉がよく使われるようになり、2006年の『ユーキャン 新語・流行語大賞』にもノミネート(「勝ち組・負け組・待ち組」)されました。以降、自分や他人はどちらに分類されるのか、それぞれの人生に勝敗をつける考え方が定着してしまいました。

これは筆者の推察ですが、天海社長はそういう時代の価値観を全身に浴びている人なのではないでしょうか。年齢は48歳なので、だいたい1976年から1977年生まれ。バブルが崩壊し、名門大学出身者でも就職試験を何十社も受けて落とされるような超就職氷河期を経験しています。

そんな過酷な時期に社会へ飛び出すことになった、いわゆる「ロストジェネレーション」。天海社長が20代から30代になる頃、リーマンショック(2008年)が起き、その影響による派遣切り、雇い止め、そして生活困窮者のための食事提供、生活相談、寝泊まりできる場所を提供する派遣村が日本でもクローズアップされました。そういった時代をサバイバルしてきたことで、天海社長の中に、「勝ち組・負け組」の意識がかなり強く根付いたのだと思います。
そして、だからこそ貧困ビジネスの被害者のことを「死ぬ前からすでに負けていた連中」「生きてるときに自力で居場所が作れなかったやつら」と過剰に見下すのです。ちなみに貧困ビジネスの被害者もおそらく、この10年、20年ほどの社会情勢に飲み込まれ、「勝ち組・負け組」の価値観にも翻弄された人たちのように思えました。天海社長は「負け組」に分類されることを極端に恐れていることから、そういった人たちや状況に対して拒否反応を示すのではないでしょうか。

緋山も、まわりを見返したいという気持ちの持ち主。成功を夢見ていることに違いはありません。その点では天海社長と近いとは思います。だから緋山は、まわりが言うほど天海社長のことを怪しんではいないのだと思います。それでも世代的なところも含め、根本はやはり異なります。そう考えると、緋山と天海社長は実は表と裏の関係であるような気がします。
miyoka
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