聞いてみよか

「エモいって言っていいですか?」【対談】芳根京子×原田マハ

2024.03.29

「エモいって言っていいですか?」【対談】芳根京子×原田マハ
『モネ 連作の情景』大阪展を訪れた原田マハさん(小説家)と本展のナビゲーターを務める芳根京子さん(俳優)が対談しました。
(芳根)こんにちは。
(原田)こんにちは。芳根さんは東京展もご覧になったのですか?
(芳根)はい!「モネ100%」ってすごくないですか?空間からぜいたくさを感じます。
(原田)モネを浴びる感じですよね。
(芳根)《昼食》を初めて見た時びっくりしました。こんなに大きい作品とは思わなかったです。モネの「黒」っていうのは珍しいですよね?
(原田) 確かにそうですね。光の作り方とか、まだアカデミックな手法を踏襲している感じですね。若い時分の、画家としてまだスタートしたばかりのモネの迷いやチャレンジが見て取れて、人物の日常的なふとした表情のようなものを明確にとらえているところから、かなりテクニックを持っていたことがわかる、非常に秀逸な一作ですね。
(原田)《ルーヴル河岸》(1867)は大好きな作品です。
(芳根)モネの作品って明るい印象がすごくあって、絵から光を放っている感じ。
(原田)そうですね。彼が青年時代に故郷のル・アーヴルの近くの町で、彼の恩師となる画家、ウジェーヌ・ブーダンに出会うんですね。ブーダンが「外の光で描きなさい」ということをモネに教えて、光を戸外に追いかけ続けてここで一旦、自分なりの結論を見出した風景画のように私には見えますね。
(原田)モネのヴェトゥイユ時代(1878-81年)の作品が何点か来ていますね。
(芳根)《ヴェトゥイユの教会》(1880)は、この作品を見たときに引きで見ると水がとても美しく見えるのに、近くで見ると点々じゃないですか。もうなんていうのか、「トリックアートみたい!」ってびっくりして。
(原田)おっしゃるとおり。《印象・日の出》の後にはすごく軽やかなタッチで画面構成してくと言う自分の画法を変えていくんですね。点々で書くのを筆触分割というんですが、絵筆のタッチとか色を何色と何色を近くに寄せたら、それが目の中でまじりあって、見ている人はどういう科学的効果が得られるのかということを画家たちが考えはじめて、次の時代に移っていくステップのひとつだったと思います。
ヴェトゥイユ時代は一番モネが人生の中で辛酸をなめた時期でした。一番どん底だった時代です。絵も全然売れないし、友人の画家たちに「頼むから生きていくだけのお金を貸して」って何通もの手紙を書いた、本当に大変な時期だったんですね。でも彼は自分が描こうと選んだ風景の中に自分の苦しみは決して表現しないと決めて、美しい風景を描いたのです。水辺の風景であれば水の底に自分の苦しみを全部沈めて、っていうモネの背景が見えてくるので、この時代の作品を見ると辛くて胃痛がしてくるんですよね。
モネが住んでいたヴェトゥイユの近くにセーヌ川が流れているんです。ある年の冬に大寒波が襲いそのセーヌ川が凍ったんです。セーヌが凍ったということでモネの心も凍ってしまい、絵筆がとれなくなっちゃうんです。でも春が来た時に川の氷が解けて、セーヌが再び流れ始める。それを見たときにモネが「この世界で時間は一瞬たりとも止まっていない。どんなに苦しくても時が流れれば状況は改善されるかもしれないし、冬の後には必ず春が来る」ということに気が付くのですね。モネは「時々刻々と変わっていくこの世界と風景を、これから自分は描いていこう」と決めて「連作」につながっていくのですね。

(芳根)モネの作品って、作品ごとに空気が変わる感じがします。水辺の作品が並んでいるのを見ると空気がひんやりとして感じるというか、目から受ける印象だけではなく、体験型って言ったらいいのか、なんていうか…。
(原田)わかります。没入感があるんですよね。
(芳根)《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》(1883)と《エトルタのラ・マンヌポルト》(1886)ですが、荒々しい波と穏やかな海を描いたこの2枚が並んでいるのって、こういうのを「エモい」っていうのですか?
(原田)このころのモネの作品は、日本の浮世絵とか日本の美術をとても研究した後のものですね。自然の中に神性や神々しさのようなものを私たち日本人はちょっと感じるところがありますよね。例えば初日の出を拝んだり。西洋の人たちは自然に対してそういう見方はしないで、「風景は風景」なんだけれど、モネはちょっと違っていて、やはり日本の絵からかなりいろんなことを学んでいるので「エモく」見えるフォーカスの仕方やと切り取り方を浮世絵から学んでいるんですね。葛飾北斎の波がサッバーンときている奥に富士山が見えるという絵がありますよね。まさにあれなんです。
(芳根)あ~!なるほど!
(原田)ちょっとデフォルメというか、自分が一番描きたいところを強調して思いっきり描くというのが日本のアートの非常に優れたところですよね。
そういう意味でもこの2つの作品は相当面白いですね。
(芳根)こうやって並べて見られるのがこの展覧会の良さですね。
(原田)まさに、まさに!
(芳根)東京展で見た時から《チャリング・クロス橋、テムズ川》(1903)は本当に好きで! 画面が光を放っているじゃないですか。絵って光るんだってびっくりしました。これは生で見ないとわからない衝撃だと思います。で、大阪は《テムズ川のチャリング・クロス橋》(1903)が増えて、また違う輝きを放っていて私はこの絵が大好きです。
(原田)「どっちがどっち?」って思うくらい似ているように見えるけれど、微妙に違いますよね。モネが時々刻々と変わっていくこの世界は無常であることを描いていることが非常によく表れている作品ですね。
(芳根)《睡蓮の池》(1918頃)は実際にジヴェルニーで見た池の印象と近いなって思いますね。
(原田)モネの睡蓮の画面の作り方ですが、3つの世界を描き込んでいるんですね。水面は現実の世界であって、水の下には水底の世界、上には空があるので水面に空を映す上の世界。現実と水の下と上の世界、その3つの世界を水鏡を使ってモネは巧みに描きだしているんですね。
(芳根)《睡蓮》(1907)と《睡蓮の池》(1907)は並べてみると、「連作」ってわかりやすいですね。時間差もあまりないように見えます。
(原田)そうですね。きっと同じころに描いたんだと思いますね。でもやっぱり一日として同じ日はないっていうことをモネは連作を通じて私たちに教えてくれているんですね。それに縦の構図も面白いですね。
(芳根)珍しいですよね。

(左)《睡蓮》1907年、和泉市久保惣記念美術館の展示は3/24(日)で終了しました

(原田)そうですね。縦の構図の作品もたまにはあるんですが、妙に現代の私たちの感覚にハマるのはスマホの画角と近い感じがするから?芳根さん、ジヴェルニーでスマホもって縦構図で撮影しませんでしたか?
(芳根)オランジュリー美術館で好きなところをアップで撮影したのが、いま自分のスマホの待ち受け画面になっています。
(原田)オランジュリー美術館にも訪れたのですね。モネの最期の、大装飾画と呼ばれている壁画のような作品がオランジュリー美術館にあるのですが、モネがそれを作ったときに、理想としては楕円形のギャラリーに、見ている人がまるで睡蓮の池に囲まれているような気持になるような設計にしてほしいと注文をつけて作ったらしいんですが、大阪展の「睡蓮の間」はまるでその様じゃないですか?
(芳根)「360度モネ」っていうのがオランジュリー美術館みたいだなと思います。
(原田)モネがジヴェルニーの池の周りを巡りながら「この角度でこういう連作を作ろう」って構図を決めていくと様子を私たちが追体験できる感じを受けますよね。
(芳根)そこまでモネがこだわったのに、オランジュリー美術館の展示を見ることができなかっただなんて…。モネがそれを見た時の感想とか反応とか知りたいなって改めて思いました。
(原田)実はあの大装飾画はモネが「自分の死後に公開してほしい」って言ったんですよ。
(芳根)あ!そうなんですか?じゃあ、そもそもモネは見るつもりがなかった…。
(原田)これは私の想像ですが、彼はジヴェルニーで完結しちゃっているから、この絵はモネからの後世への、私たちへのプレゼントなんじゃないかな。
この対談の様子は再放送と見逃し配信でご覧いただけます。

【番組名】芳根京子 モネを通して見た光~モネ 連作の情景~※3/31(日)午前5:15~関西ローカル再放送
【出演者】芳根京子(俳優)原田マハ(小説家)中島めぐみ(アナウンサー)

TVer

カンテレドーガ

モネ 連作の情景
【日程】2024年2月10日(土)~5月6日(月・休)
【会場】大阪中之島美術館 5階展示室

公式HP
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