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承認欲求が暴走する果てに何が待つ?突き刺さる茜の言葉

2025.04.18

承認欲求が暴走する果てに何が待つ?突き刺さる茜の言葉

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』2話レビュー

4月10日よりスタートしたドラマ『MADDER(マダー)その事件、ワタシが犯人です』の第2話が17日深夜に放送されました。
第1話では、天才ばかりが集まる進学校・清爛学園の歴史上、初めて全科目満点で入学した仲野茜(五百城茉央)が、連続殺人事件の犯人と思われる青年・黒川悠(山村隆太)の言葉を受けて犯罪の世界に魅せられていく姿が描かれました。そんな折、清爛の叡智の象徴である石像が破壊される事件が発生。茜のクラスメイトたちが事件解決に乗り出しました。

自意識、承認欲求からくる短絡的な行動

第2話を見てふと思い出したことがありました。それは昨今、TikTok、YouTube、Xなどで問題になっている迷惑系動画のことです。“普通”の感覚では「なぜそんなひどいことをするんだろう」「それをわざわざ動画に撮ってSNSに載せる気持ちが理解できない」となるはず。

そういった迷惑行動をとって撮影・投稿してしまう理由はいくつかあると思います。一番は、人間的な未熟さ。その行動がいろんな人を悲しませたり、苦しめたりするという想像が及ばないのでしょう。あともう一つの理由は、自意識や承認欲求も大きいと思います。迷惑行動って、分かりやすく注目を浴びることができる手段ですから。

「いろんな人に注目されたい、自分の存在を知ってもらいたい」という気持ちが高ぶると、人はまわりが見えなくなり、ひどい場合は善悪の区別すらつかなくなります。羞恥心やみっともないという感覚もなくします。ですので、その瞬間は自意識や承認欲求が満たされるのですが、後々になって自分がしでかしたことの深刻さを理解できたり、炎上するなどして事の重大さに気づいたりするのだと思います。ちなみに筆者は何度かTikTokやYouTubeの制作・撮影をサポートしたこともあるのですが、自分たちで自分たちに歯止めをちゃんとかけていかないと、結構簡単に逸脱した企画・行動をとってしまいがちなんですよね。ですのでTikTokやYouTubeって、それを“生業”としている人は特に、常に諸刃の剣を抱えていると考えた方がいいでしょう。

『MADDER』の第2話では、石像破壊事件の犯人探しが進行します。茜が深く関係しているものの、担任教師の門倉幸太郎(なすび)や司重彦校長(利重剛)が絡んでいたりして、事件の真相をすべてつかみ切ることはできません。ただ茜は、真相を追うクラスメイトばかりか、私たち視聴者すらも弄ぶようにいろんなヒント(=メッセージカード)を散りばめたり、誘導的な言動をとったりして、事件の核心に少しずつ近づけようとしていきます。

自分自身が細工した仕掛けを手がかりにみんなが謎解きに熱中する様子こそ、天才中の天才である彼女の「退屈しのぎ」なのです。自分のことを大々的にアピールするわけではないのですが、しかし間違いなくそれが、茜にとっての承認欲求の満たし方なのではないでしょうか。前述した迷惑動画のような、いわゆる短絡的な行動ではないからこそ、あらためて茜という人間の天才性や闇の深さに気づかされます。

そんな中、この事件は呆気ない結末を迎えます。美術部2年生・須藤昌也(桑山隆太)が、自分が犯人だと名乗り出るのです。須藤は、石像を壊した理由について「なんか急に、衝動っていうか、爆発しちゃって」と口にします。さらに、茜が仕掛けたヒントとなるメッセージカードまで自分の仕業だと嘘をつくのです。

須藤のそれらの告白を動画で撮っている同級生たちは、「おお!」と感嘆の声をあげ、ますます須藤は悦に入っていきます。迷惑動画を撮って投稿する人たちって、なんだかこういう感じな気がします。

衝動からくる暴走の果てに待っているものはなんなのか

須藤の「なんか急に、衝動っていうか、爆発しちゃって」という説明は、いかにも“香ばしい”ですよね。でもそこがすごくリアルな気もしました。

さらに彼は、自分はちゃんとやれば東大に入れるがそうはしないと言います。その上で「俺は芸術家だ。ってか芸術だ、俺は」と自分を誇示。このイタさと説得力のなさこそが自意識や承認欲求の暴走なのだと思いますし、実際に行われている迷惑動画の数々の実態にも感じられます。

これらの状況をつかんだ茜が、須藤にこのように迫ります。「先輩は『自分が犯人です』って言いました。ってことは、罪を犯したことも、その罪を誰にも言わないで抱えていくことも、誰かに追われることも、全部背負わなきゃいけない」と。

衝動からくる暴走の果てに待っているものはなんなのかを的確に言い表した言葉ではないでしょうか。須藤は、茜のその言葉にゾッとします。しかし筆者は、茜のこの言葉を私たちは忘れてはならないのではないかと感じるのです。

なにかを背負うということはどれだけ重いものか。そして、その覚悟はあるのか。自意識や承認欲求が膨らむと、当たり前のことを見失っちゃいます。自分で責任がとれないようなことは、当たり前ですけど、やってはいけないのです。第2話終盤の須藤の姿を見ると、それを痛感させられます。

『MADDER』は謎解きや伏線回収の要素がたくさんある“考察系ドラマ”ですが、人間の心理の奥底を鋭く突く、ある意味で普遍的なヒューマンドラマでもあると思います。次回以降もそういった点を楽しみに鑑賞したいですね。
文:田辺ユウキ
芸能ライター。大阪を拠点に全国のメディアへ寄稿。お笑い、音楽、映画、舞台など芸能全般の取材や分析の記事を執筆している。
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