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本音は隠れたところに…五百城茉央が足で表現する「退屈」

2025.05.16

本音は隠れたところに…五百城茉央が足で表現する「退屈」

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』6話レビュー

いよいよ後半に突入したドラマ『MADDER(マダー)その事件、ワタシが犯人です』。
その第6話が15日深夜に放送されました。第5話では、天才高校生・仲野茜(五百城茉央)の同級生で財閥の娘の篠崎麻友(吉名莉瑠)が惨殺されるというショッキングな事件が起き、学内は混乱。茜は、電気店に勤めるミステリアスな青年・黒川悠(山村隆太)の仕業だと考えます。しかしなぜ、彼は篠崎を殺したのか。茜は思惑が理解できず、大きな動揺を見せます。そんな中、黒川は、以前起きた猟奇殺人の件も含めて警察に出頭することに。

今回の第6話では、茜は、黒川が何を考えていたのかそのヒントをつかもうと奔走。「中学校全国クイズ大会優勝」経験者のクラスメイト・江藤新(樋口幸平)からクイズ研究部交流大会の誘いを受け、その開催地が黒川のルーツと思しき栃木県日鞠町であることを知って参加を決めます。ただ、茜に声をかけた江藤にも何やら考えがあるようで…。

『MADDER その事件、ワタシが犯人です』
左:江藤新(樋口幸平)
右:小野優伽(花音)

茜の“本音”があらわされた、足パタパタ

第6話では物事が目まぐるしく動き始めましたが、そんな中、筆者が興味を持ったのが序盤です。

茜は、クラスメイトの依原湊(水野響心)に連れられる形で、殺された篠崎の家へ行くことになりました。ちなみにこの依原は、入学当初から篠崎と親しげにしていました。第1話では、茜は彼女について「篠崎のそばにいるだけの便乗腰巾着。なんか全部がうそっぽい、エセ感満載のもはや右利きすら疑わしい女」と分析していたほど。ところが、表向きは仲が良く見えていても実際はそうではなかった様子。茜の分析は的を射ており、実は心の底から篠崎を慕っているわけではありませんでした。

第6話でも依原は、茜に「私、篠崎さんのことよく知らないし。好きでもなかったから」と言います。さらに依原は、「ポジショントークしてれば、とりあえずいろいろ安全じゃない?」と狙いを打ち明けます。そんなことを言いながら、篠崎家へ到着。そして悲しみに暮れる父親と対面。この場面が秀逸でした。リビングのソファに並んで座る依原と茜。依原は、神妙な面持ちで篠崎との思い出を口にします。

興味深かったのは。その横にいる茜です。彼女は、場の空気を読んで表情は真面目にしていますが、テーブルの下付近では両足を静かにパタパタさせているのです。これがお見事でした。常日頃からほとんどの物事に対してつまらなさを感じて生きている茜らしさが、この足パタパタに集約されていたのではないでしょうか。彼女にとって、篠崎の死自体はどうでも良く、興味があるのはなぜ黒川がそんなことをしたのかだけなのです。つまりこの場は、表情は真面目なのですが、足元に“本音”があらわれてしまっているということ。

実は、演じた五百城さんのアイデアだったそうです。五百城さんがテストで披露したのを気に入った監督がいい塩梅(あんばい)に演出しています。足元に“本音”があらわれるのって、視聴者のみなさんもすごくリアルだと思いませんでしたか? とても素晴らしい演出・演技だと感じました。もちろん、篠崎の父親は、茜の足パタパタには気づきません。依原の話に耳を傾けていますし、またそれが“本音”だと信じていますから。

みんな見えないところでは何をしているのか分からない

茜の足パタパタから読み取れるものがあります。それは“本音”は見えづらいところに隠れていること。そして、みんな見えないところでは何をしているのか分からないということです。

そもそもこの『MADDER』って、そういう物語ですよね。「誰よりも頭が良い」という事実だけで信用やリスペクトを勝ち取っている茜が、気づかれないところでちょっとした事件を起こしていること。日本屈指の進学校である清爛学園の校長には、金を横領している疑いがあり、それを石像の台座部分に隠していたこと(そういえば台座も“足元”ですね)。校長がいない校長室で、羽を伸ばして好き勝手なことを言っている教師たち。黒川も淡々と電気屋の仕事をしているように見えて実はそうではないようですし、依原も篠崎と仲良くしていたのは見せかけでした。

あと第6話で語られていますが、篠崎の父親が営む会社が粉飾決済など不正をしていることも明るみになります。しかもそれを調べていたのが、娘の篠崎麻友だったのです。こういったことからもやはり、みんないろんな“本音”を隠し持っていることが分かります。しかもその“本音”には、親友に見えてそうではないとか、親子関係にあるけど何かがあるとか、いろいろ歪なものが感じられます。

たとえば今はSNSがあって、誰もがそこで自分の日常や考えをオープンにしています。でも、SNSでは自分なんていくらでも演出したり、作ったりすることができます。インフルエンサーなんかでも、投稿の中で、すごくぜいたくな暮らしをしている風に見えているのに、実は金銭事情が苦しかったことが発覚……ってことも、SNSあるあるです。だけど多くのSNSユーザーは、パッと見える世界だけをすくいとって、それが“本音”や“真実”であると認識しがち。そして「自分もこの人みたいになりたい」と願ったりする。見えないところに“本音”があるので、だまされるのは仕方がないことなのですが。

茜に関してもそう。第6話で依原は、「仲野さんがうらやましい。超然としてて」「(学力が)トップだからそんな感じでいられるんだよ」「仲野さんになりたかったな」といろいろな感情も込めながら言います。

でも茜は、彼女なりにいろいろ抱えています。たしかに、依原が飛び抜けて頭が良い人間になってみたいと思うのは当然かもしれません。ただ、その頭の良さをうまく使いこなせる人もいれば、茜のように「自分は彩りのない世界で生きているんだ」と考え、迷走することだってあります。だからこそ茜は、依原の話を聞いて「彼女も、私になったら実感するのだろうか」「私が今、感じているような途方も無い虚無感を」と心の中でつぶやくのです。

そういった意味でも第6話は、人の本当に気持ちや考えは見えないところに存在するものだと実感させられる内容でした。
文:田辺ユウキ
芸能ライター。大阪を拠点に全国のメディアへ寄稿。お笑い、音楽、映画、舞台など芸能全般の取材や分析の記事を執筆している。
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