子どもの頃から慣れ親しんだお気に入りのソースがあるという人が、関西には多くいます。そのため“地ソース”と呼ばれるソースメーカーが多いのも関西地区の特徴です。一般的なスーパーにはほぼ並ぶことのないそういったソースは、ほとんどが家族経営、少人数で作っているため生産量が限られています。後継がいなかったり、阪神淡路大震災の影響もあったりと、地ソースメーカーは少しずつ数を減らしています。
ソースの指名買いが多い神戸の地で愛されている地ソースメーカーのひとつ「阪神ソース」(神戸市東灘区)で、伝統のソース作りを大切にしながら、歴史を継承する道をつくっている、6代目・安井元彦さん(40)にお話を聞きました。
阪神電鉄「深江駅」から徒歩10分ほどの場所に「阪神ソース」はあります。外観は、1階にコンビニ「ファミリーマート」がある事務所併設の住居のよう。こじんまりしていて、ソースを作る工場があるようには見えません。「入社したときから、工場を広げることよりも、コンパクトで衛生的であることが絶対に必要だと考えてきました」と話す安井さんの考えが、この外観には詰まっていました。
「阪神ソース」の創業者は、安政元年(1854年)生まれの安井敬七郎氏です。ドイツの工学博士・ワークネル教授とともに全国を回っていた敬七郎は、神戸で食事をします。そのときに「神戸においしい肉があるのに、どうして日本にはおいしいソースがないのでしょう」とワークネル教授に尋ねられたことから、敬七郎はソースの研究を独自に始めます。そして明治18年(1885年)にひとつのソースを作り上げました。同社はソースを作って140年になる、現存する日本最古のソースメーカーといわれています。
同社で広く長く愛されているソースは、家庭用の「日ノ出ソース」(ウスター・とんかつ)です。昭和の中頃、特に関西の百貨店の食堂のテーブルには「日ノ出ソース」が置かれていました。その頃に百貨店で食べた記憶が刻まれている人も多く、今も「日ノ出ソース」は指名買いされています。
いっぽうで、創業120周年のときに安井さんの父である5代目が作ったウスターソース『敬七郎』があります。このソースは明治時代のソースのレシピをもとに、ソース作りの原点に立ち返るという考えで開発されました。当時の原料や製造方法に倣い、無添加で作られています。
『敬七郎』は、価格を設定してから作るのではなく、原材料にこだわった商品ありきで作られているため価格が高めです。それでも「目玉焼きが、『敬七郎』をかけるだけで高級になる」「スーパーのコロッケも素材が引き立ってめちゃくちゃおいしくなった」などと支持されて、同社の代名詞ともいえる主力商品になりました。とはいえ、購入できる場所は限られていて爆発的に売れるわけではありません。
「お客様を大事に、いかに歴史のあるソースを残していくかが僕に課された使命だと思っています」と安井さん。子どもの頃から「将来の夢はソース屋の後継」と書いてきたそう。大学卒業後はサラリーマンも経験して自分を見つめ直し、阪神ソースを引き継ぎました。そして140年続くソース屋さんを残すために、別のビジネスもするという選択をします。そのひとつが、事務所1階に店を構えるコンビニ事業です。
朝はソースを炊いて、作ったソースをコンビニの棚にも並べました。するとそのソースを「あんた、これ知ってる?おいしいねんで、このソース」といってお客さんが買っていきます。安井さんは流通の全てを体験したことがとてもうれしかったそう。「コンビニをやって本当によかった」と話します。
1年間のコンビニ店長を経験したあとは、コンビニオーナーとして数店を管理しています。ソース屋さんを残すための収益の基盤ができているからこそ、自分の子どもたちには自由であってほしいという安井さん。初代敬七郎は、ソースをかける食生活がない時代にソース作りを研究しました。安井さんも時代を見据えた方法で、同社の伝統を守ろうとしています。「どんな形であれ、阪神ソースを残すことが僕にはできる」と力強く語りました。
文:太田浩子
「美味しい」&「楽しい」関西の魅力をご案内。プライベートでは和菓子にハマっています。
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