映画『ブルーピリオド』レビュー
山口つばさによる人気漫画の実写化、映画『ブルーピリオド』が8月9日に公開されました。ノルマを達成するように何でもこなす高校生・八虎が、本当に好きなものを見つけて目標に向けてまい進していくという「美術系スポコン漫画」ともいうべき本作。マンガ大賞2020受賞、テレビアニメ化、展覧会開催と激しい勢いで展開を続けてきましたが、遂に劇場映画となって登場です。
実際に東京藝術大学を卒業している原作者の経験や視点が反映された漫画『ブルーピリオド』には、美大受験に向けまい進し、美大で学ぶ学生の姿が描かれています。その中でも、今回の映画で描かれるのは無気力な八虎が絵と出会い、東京藝術大学合格を目指して努力を重ね、実際に受験するまで。本当に好きなものと出会い、明確な目標が定まった若者の情熱や戸惑い、周囲の人々との関わりなどが繊細かつ鮮やかに描かれています。美術を学んだことがない人間にとっては新鮮に、学んだことがある人間にとってはリアルに感じられるに違いありません。
勉強もアソビも、何事も器用にソツなくこなす主人公・矢口八虎を演じるのは眞栄田郷敦さん。誰よりも目立つシュッとしたルックスとどこか知的な雰囲気は、まさに八虎そのものです。ときに悩み苦しみながら、終盤に向かってググっとテンションを上げていくその演技は、間違いなく本作のエンジンとなっています。
中でも、私が最も引き付けられたのは八虎の瞳です。まだ絵画と出会う前や、無気力なときにはどことなくうつろな光を放ち、優しげだけれど冷たさも感じさせる瞳。その瞳が、森先輩の作品に出会い、初めての作品を描き、それを皆に感じ取ってもらった瞬間にキラキラと輝き出す様子はまるで魔法のようでした。最初のうちは妙に大人びた雰囲気だったはずなのに、真剣に誰かと向き合ったり、一心不乱に絵に対峙(たいじ)したりするときの八虎はまるで小さな少年のように見えます。彼の瞳を大きく捉えるショットが登場するたびに、人生で一番好きなものと出会えた喜びとエネルギーがスクリーンいっぱいに充満し、心から応援したいという気持ちが湧き上がってきました。
他の出演者も原作から抜け出てきたような見事な存在感で目を見張ります。自分の“好き”について葛藤する、女性的な容姿の八虎の同級生・ユカちゃんを演じる高橋文哉さんは、芯の強さと内に秘めた苦しみを繊細に演じ切り、八虎を美術の道へ誘うきっかけとなった森先輩を演じた桜田ひよりさんは、小さい体に神々しいほどの包容力を感じさせます。予備校で八虎と出会いライバルとなる世田介を演じる板垣李光人さんは、黙っていてもその目線で自信・嫉妬・焦りをすべて感じさせる見事な表現力で、異質な存在感を放っています。
そして、なんといっても特筆すべきは長い時間をかけて絵画を練習してから撮影に臨んだという彼らの動きでしょう。画材を扱い、キャンバスに向かう手つき、対象を捉える視線、そのすべてがごまかしではないのがわかります。『ブルーピリオド展 in 大阪 ~アートって、才能か?~』では実際にキャストたちが描いた作品が展示されていましたが、彼らの努力と本気は映画の中にもしっかりと刻まれていました。(劇中絵画の一部はキャスト自身によるもの)
八虎を見守り、ときに叱咤(しった)しつつ背中を押す人々も忘れてはいけません。八虎に愛情を注ぎつつも心配せずにはいられない母親(石田ひかり)、明るくまっすぐに受験生を導こうとする予備校の大葉先生(江口のりこ)、最初に八虎に道を示す高校美術教師の佐伯先生(薬師丸ひろ子)、そして鋭い観察眼で八虎に希望を与える友人・恋ヶ窪(兵頭功海)などなど、八虎は多くの人に支えられながら藝大合格という大きな夢に向かっていきます。それぞれの思いや、それを受け取る八虎の感情が丁寧に描かれていることも見逃さないでください。
また、映像表現についても触れないわけにはいきません。暗闇から渋谷の夜明けの風景が姿を現す冒頭シーンから、色彩や光の表現への並々ならぬこだわりが感じられる本作。映画化に向けてメガホンを取ったのは『東京喰種 トーキョーグール』『サヨナラまでの30分』などを手掛けた萩原健太郎監督です。絵画に魅せられた八虎たちの世界を実写化するにあたって、映画ならではの表現が随所に見られ映像体験としてもとてもワクワクさせてくれます。特に、自分だけの絵を模索する八虎がバスの中で「縁」についてのイメージを膨らませるシーンは本作の見所のひとつでしょう。
ところで、私が卒業した私立の女子高は、芸術コースがあるわけでもないのになぜか芸術系に進む人が少なくありませんでした。実際、私の同級生も東京藝術大学に2名進学しています(声楽科と彫刻科)。私自身は完全に文系だったので外から見ていただけでしたが、美術系志望の生徒はグループでまとまってとても仲良くしていました。なぜなら、彼女たちは同じ美術系の予備校に一緒に通っていたからです。進学したのはそれぞれ違う美大でしたが、その絆は今もなお強固なものとして続いています。
私は当時、彼女たち美術系のグループのことが無性にうらやましかったのを覚えています。互いに個性を認め合っていて、一緒に頑張ろうというポジティブさに満ちているように見えましたし、卒業から四半世紀が過ぎた今でも定期的に彼女たちが集まっているのをインスタで見かけるたびにそのうらやましさが仄かに蘇ってきます。私からは見えないけれど、なにか大切なものが詰まっていそうな彼女たちの世界。仲間に入りたいけれど、絶対に入れない世界。あれはどんな世界なんだろうとずっと興味を引かれていました。
好きなことは趣味に留めればいいのではないのかと問う八虎に対して、佐伯先生はこう答えました。
「好きなことに人生の一番大きなウェイトを置く。これって、普通のことじゃないでしょうか?」
彼女たちの中に確固たる絆を感じ、とても生き生きとして見えたのは、きっと彼女たちが「好きなこと」に対して真っすぐに向かっている姿がまぶしかったからなのだと思います。打算や妥協や戦略などは取っ払って、「好きなこと」を追及すること。確かに、それは人間にとって一番自然な生き方なのかもしれません。本作に込められている「好きなこと」にぶつかっていく若者のエネルギーを、ぜひ感じてみてください。
文:八巻綾
テレビ局で舞台・展覧会などのイベントプロデューサーとして勤務した後、関西に移住。映画・演劇ライター
あらすじ
成績優秀で社交的な高校生・矢口八虎は、夜な夜な渋谷の街に繰り出す不良でもあった。手ごたえがない毎日につまらなさを感じていた八虎だったが、選択授業の美術で「私の好きな風景」を描いたことをきっかけに、絵画にのめり込んでいくことになる。そして、東京藝術大学を目指すことにするのだが…。
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