藤原丈一郎(なにわ男子)主演『ロンダリング』3話レビュー
なにわ男子の藤原丈一郎さんとB&ZAIの橋本涼さんの共演も話題を集めているドラマ『
ロンダリング』の第3話が17日深夜、放送されました。
第2話では、死者の声が聞こえるという特殊能力を持つ青年・緋山鋭介(藤原丈一郎)が、雇い主のアマミ不動産・社長の天海吾郎(大谷亮平)に命じられ、東京から大阪へ。そこでゴミ屋敷へと化した放置物件の調査を行いますが、白骨化した頭部が見つかったことで、警察沙汰に発展。さらに半グレ集団とそのリーダーであるP.J.(橋本涼)らに絡まれるなど、散々な大阪滞在のスタートを切ることになりました。
この第3話では、アマミ不動産大阪支社で部屋を契約したキャバクラ嬢の獏良あゆ(春名真衣)が「あの部屋に住んでから変なことばっかり起きる」と言いにやって来ます。そこで緋山が、事故物件に一時的に住んでその形跡を打ち消す作業「ロンダリング」に乗り出すことに。
人は多くの物事を「なんとなくの印象」で判断していくもの
筆者が第3話のストーリーで着目したのは、人は多くの物事を「なんとなくの印象」で決めたり、判断したりすることが多いという点。つまり「レッテル貼り」です。
たとえば第3話序盤、キャバクラ嬢のあゆが「部屋に幽霊がいる!」と怒鳴り散らかしますよね。彼女いわく、部屋で起きる不可解な現象のせいで「最近、彼氏ともケンカすることが増えた」「(幽霊の)気配がすんねん、気配が!毎晩毎晩、真夜中になると部屋ん中に誰かおる気がするんやってば!」とまくしたてます。でもみなさんはきっと、それらはすべて言いがかりのように思えたのではないでしょうか。なんなら「これってカスハラ(カスタマーハラスメント)ではないか」と感じたはず。
これはあゆ役の春名真衣さんのヒステリックな演技のすばらしさもあるのですが、視聴者である私たちはこの時点で、その話が本当かどうか確かめることなく、あゆの「なんとなくの印象」で「ややこしい人」とジャッジしてしまうのです。
さらにあゆの接客を担当した社員の蒼沢夏凜(菅井友香)は、誰かの気配を毎晩感じるというあゆに対し「お勤めはキャバクラでしたよね? 夜はお店に出ていらっしゃるはずなのに毎晩というのは」と指摘し、あゆに「ちゃんとした部屋紹介してよ」と言われると、「キャバクラでお勤めとなると普通は審査を通すのも難しいので」と答えます。キャバクラ嬢ということを強調し、視聴者が抱く「なんとなくの印象」を強めていくのです。
物語の中でも夏凜が口にしていますが、マンションのオーナーは、水商売の人へのイメージから部屋を貸したがらないことがたくさんあるそうで、そのほかにも、芸能人、インフルエンサーなどはお金があっても賃貸契約が成立しづらい傾向だと話します。イメージ的に「公務員だったら問題ない」とのことですが、夏凜は「実際は公務員だってだらしないやつはいるのに」と疑問を呈します。
これが現実ですし、仕方がないことかもしれません。でも、これらのくだりを見ると、あらためて社会はそういう「なんとなくの印象」に支配されていることに気付かされます。
夏凜の過去を知った緋山のあからさまな変化
「なんとなくのイメージ」だけでジャッジし、本質を見ようとしないことは、この第3話の大きなテーマになっていました。
第3話では夏凜が、かつて性風俗の仕事に就いていたことを明かします。そしてその過去を聞いた緋山の、夏凜を見る目がはっきりと変わります。おそらく緋山の中で「なんとなくのイメージ」が浮かんだのでしょう。ただ夏凜は、「だからイメージだって、水商売でも真面目にちゃんと生きてる人間はいるから」と呆れます。きっとこれまでも、何度となくそういう偏見を向けられて来たのでしょう。
そんな夏凜は、幽霊の姿をはっきり見ることはできないものの、その存在を黒いモヤとして感じることができる特殊能力を持っています。しかし、幽霊の存在を信じているわけではありません。彼女は「私に見えてる『色』だって経験的なものであって、理屈は全然分からない」「私に見えてるものが実際なんなのか、私には判断つかない」と言うのです。
夏凜のこの言葉もまた、社会は「なんとなくのイメージ」で支配されており、そのイメージの裏付けは個人や周囲の経験からきているものの、本質を見ずにジャッジすること(されること)が少なくない現実をあらわしているのではないでしょうか。
逆に、霊媒師と職業を偽ってあゆの部屋を訪れて「ロンダリング」を開始する緋山のことを、あゆはすんなりと受け入れます。ただ、緋山の格好は霊媒師ではなく、どう見ても占い師です。ここでのあゆの対応についていろいろ考えることができます。「霊媒師のイメージがなんとなくしかない」からこそ、怪しみながらも緋山を受け入れたとも見えますし、あゆ自身は相手の本質を大事にしているから占い師っぽい緋山を受け入れた風にも思えるのです。もしかすると何も考えていないのかもしれませんが……。
一つ言えるのは、いろんな偏見を向けられてきたであろう存在のあゆは、この第3話のメッセージを担う存在であるということです。
もちろん「なんとなくのイメージ」で物事を判断することも、否定されるものではありません。前述したように、それらはさまざまな経験からくるものですから。また見た目などから感じられるなんとなくのイメージは、結局、その人の本質をあらわしている場合も少なくありません。他人のどのような部分を見て、どう判断するか。いろんな情報であふれている今だからこそ、個々の考えが問われるところですよね。第3話からは、このような奥深いメッセージが受け取れました。
文:田辺ユウキ
芸能ライター。大阪を拠点に全国のメディアへ寄稿。お笑い、音楽、映画、舞台など芸能全般の取材や分析の記事を執筆している。
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