聞いてみよか

終戦79年【気になるニュース・さゆり’s eye】

2024.08.19

 終戦79年【気になるニュース・さゆり’s eye】

終戦79年

大変ご無沙汰しております。報道センターで解説デスクをしています加藤さゆりです。
しばらく「みよか」の出稿をお休みしている間に8月になってしまいました。

8月15日、終戦の日です。
ことしは終戦79年。newsランナーでは「昭和99年 語り継ぐ」と題して3日連続で戦争の特集を放送しました。
8月14日に放送したのは「復員兵のPTSD」でした。
生きて戦地から戻った復員兵が、戦争のトラウマに苦しみ、その牙を人知れず家族に向けていたという内容です。VTRを見ながら、海軍兵だった祖父のことを思いました。
大正2年生まれの私の祖父は、10代で海軍志願兵になり、戦時中は世界中を戦艦で巡っていました。日中戦争の際には足に砲弾を浴び、側溝に落ちて倒れているところを仲間に助けられ、また乗船中の艦がアメリカ軍の砲弾を受け沈没した際には、海に投げ出されたところを救助されるなど、九死に一生を得ることを二度も経験したそうです。
九州で療養中に終戦を迎えた祖父。
当時の階級は、海軍兵曹長(准士官)。除隊後には勲六等を授与されました。
公務員などの職に就けることを期待し地元の岐阜に戻りましたが、GHQによる「公職追放」の対象となり、希望はかないませんでした。
その後、家業を継ぎ、地元の商店街の発展に努めた祖父でしたが、86歳で亡くなるまで、孫の私には戦争の辛い経験を語ることはほとんどありませんでした。
終戦時1歳だった父は、帰還した祖父とのその後の壮絶な生活を今も覚えているそうです。
それは厳しいしつけの類ではなく、祖母や子どもたちのことを怒鳴りつけては手を上げる日々。
そんな生活が数年続き、耐えかねた祖母は一度だけ生きる希望を見失ったことがあるそうです。
昼寝をしていた長男を家に残し、当時小学1年生の父を含む下の息子2人を連れて家を出て、近くの川へ向かいました。線路の上を歩きながら「今から川に入って一緒に死のう」そう祖母に言われた父はただついていくしかなかったと。まだ意味のわからない弟が「もう帰ろうよ」と泣きじゃくったので、祖母は我に返り引き返したそうです。
終戦後、祖父のことを「人が変わってしまった」と嘆いていたという祖母。
今から思えば、祖父もある種の“戦争後遺症”に苦しんでいたのかもしれないと、父は話しています。
泣き言など許されなかったであろう時代です。
精神的な病名こそ告げられずとも、脳裏に焼き付いたむごい記憶と心の傷に悩み苦しんだ元兵士やその家族は、どれほどいたことでしょうか。

戦争は人を変えてしまうと言いますが、そんな一端が私の家族にもあったことを、忘れてはならないといま感じています。

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miyoka
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